この寺は、創建(1500年頃)当時、鶴巣寺と称していたが、永禄4年(1561)川中島合戦のとき、武田典厩信繁公はこの寺を典厩本陣として出陣したが、この激戦で惜しくも37才で討死したので、この寺に埋葬されて菩提を弔っています。
その後、初代の松代藩主(海津城主)、真田信之公(真田幸村の兄)がかつて武田の重臣であったところから、典厩信繁公の菩提を弔うため、その名前をとって典厩寺と改めて、真田家の武家寺として寺は発展し、その歴史を伝えています。